Eternal Piece


 今までどおりの時間が流れていた。
 何も変わらない日常。
 ずっと、このまま続いていくかのような日々。
 朝、目覚ましの声で起こされて、いつもと同じ部屋に目覚めて、いとこの少女と共に学校に向かう。
 学校で授業を受けて、友達とくだらない会話をして、適当に家に帰る。
 温かい家族に包まれ、ゆっくりと眠りに落ちる。
 少しだけ物足りなくて、それでも、それなりに幸せな。
 そんな、当たり前の日々だった。


 雪。
 雪が降っていた。
 真っ白な風景の上に、更に降り積もっていく雪。
 ここはどこだろうと、ふと思う。
 だけど、そんなことはすぐにどうでもよくなって。
 ただ、ずっとこの場所にいることだけは分かって。
 これからも、ずっとこの場所にいるんだろう。
 時折、目の前をいろんな風景が過ぎっていく。
 それは、嬉しくて。
 楽しくて。
 寂しくて。
 そして、悲しくて。
 泣いて。
 ここでも泣けることに気がついて。
 だけど、それはやっぱりどうでもいいことで。

 ――ボクは、ずっと同じ場所にいる。


 春。
「今日から3年生だね」
 いつもの通学路を走りながら、名雪が言う。
「……3年生になっても、結局遅刻ぎりぎりなんだな」
 ペースは落とさずに答える俺。
「3年生になったから早起きするとかいう発想はないのか?」
「努力はしてるよ」
 少しも悪びれた様子もない声が返ってくる。
 この街に引っ越してきてからずっと変わらない、朝の風景。
「それで、間に合いそうか?」
「えーと……このペースなら多分ぎりぎり大丈夫だよ」
 腕時計を見ながら答える名雪。
 陸上部の部長と言うだけあって、まだまだ余裕そうだ。
 俺も毎朝鍛えられてきたから、まだまだ大丈夫だが。
「……明日は歩いていけるようにしような」
「うん。頑張るよ」
 やっと視界の先に校門が見えてきた。
 それと同時に、チャイムの音が響く。
「急げっ、名雪」
「うんっ」
 少しスピードを上げ、そのまま校門を駆け抜けていった。


「お母さんが、いなくなっちゃったんだ」
 ずっと変わらない日常。
 それが、当たり前のことだと思っていた。
 でも、その終わりはあっけなくて。
 何の前触れもなくて。
 気が付くと、1人で泣いていた。
 悲しくて。
 ただ、悲しくて。
 あてもなく、さまよい歩く。
 だけど、それも長くは続かなくて。
 終わりは、新しい始まりで。
 ふと、何かにぶつかった。
 前を見ると、同じ歳ぐらいの男の子がいた。
 ボクは、まだ泣いていて。
 男の子が、色々と話しかけてきて。
 まだ、溢れる涙は止まらなくて。
 男の子は、まだ前にいて。
 何となく、暖かくて。
 その男の子に、たい焼きを貰った。
 懐かしくて、少ししょっぱくて。
 でも、美味しかった。
 気が付くと、涙も止まっていた。
 まだ、笑うことが出来て。
 それが、嬉しくて。
 もっと、この男の子と一緒にいたくて。
「また、一緒にたい焼き食べたい」
 精一杯の言葉。
 男の子は、頷いてくれて。
「指切り……」
 小指が絡んで、離れる。
 その指先の温もりは、今でも覚えている。

 ――今でもまだ、その温もりを求めている。


 夏。
 他の街よりは涼しくて、それでも、やっぱり暑い夏。
 そして、夏休み。
 お約束のようにボケーッとして過ごす。
 ただ、名雪は大会があるから忙しそうだったが。

 大会当日。
 さすがに今日はちゃんと起きて、見送ってやる。
 名雪もこういう日はしっかり起きるようだ。
「いよいよ、今日だな」
「そうだね。頑張るよ」
 名雪は、最後の大会だというのにまったく緊張していないようだった。
 この辺は、実に名雪らしいところだが。
「ああ、頑張ってこい。ちゃんと応援に行ってやるからな」
「うん。ふぁいとっ、だよ」
 すでに聞き慣れた合言葉。
「あら? 名雪、時間は大丈夫?」
 玄関で少し喋っていると、奥から秋子さんが出てきた。
「……あ」
 腕時計を確認する名雪。
「……ちょっと走れば大丈夫だよ」
 どうやら、時間を忘れていたらしい。
 この辺は、最後まで名雪だった。
「ウォームアップには丁度いいだろ。それじゃ、行ってこい!」
「行ってらっしゃい、名雪」
「うん。行ってきます〜」
 名雪を送り出して、俺達も準備をする。
 その後、北川や香里と合流して、会場に向かった。


「今日だけ、一緒の学校に通いたい」
 どこか、高い場所に座っていた。
 見渡せば、夕焼けのベールに包まれた街並み。
 真下には、1人の男の子。
 その男の子に向けた、願い。
「言ったろ? 俺に出来ることなら何でも叶えてやるって」
 今日から、ここは学校。
 校則もない、制服もない。
 宿題もないし、テストもない。
 休みたいときに休んでもいいし、遊びたいときに遊んでもいい。
 給食は毎日たい焼きで、冷暖房完備の全席テレビ付き。
 そんな、2人だけの、2人のための、自由な学校。
 もうすぐ会えなくなる子供達の、小さな思い出の形。
「また、この学校で会おうな」
 約束。
 男の子が帰ってきたら、また、この街で会えるから。
 その時は、この場所で。
 叶うことのなかった願い。
 それでも、その時はその日を信じて疑わなかった。

 ――今でもまだ、叶う日を待っている。


 秋。
 街は鮮やかな、でも、悲しい色に包まれていく。
 風も冷たくなり、地面に落ちた葉っぱ達をかき回す。
 そんな中、俺達も本格的に大学受験へ向けて勉強を始めた。
 とは言え、俺は特に目指している物があるわけでもなく、この街に残るかどうかすらもまだ決めていなかった。

「もう、すっかり寒くなってきたよね」
 名雪が白い息を吐きながら、嬉しそうに笑う。
「そうだな……」
 俺もやっぱり白い息を吐きながら、適当に頷く。
 学校帰りによった商店街。
 同じように白い息を吐く人達が、いつものように行き交っている。
 少しぐらい寒くなっても、人通りは減っていなかった。
「百花屋さんでイチゴサンデー」
 目の前では、名雪がいつものように歌う。
「そんなに何度も言わなくても分かってるって」
 ちなみに、百花屋さんは甘味屋の名前で、イチゴサンデーはそこのメニュー。
 言うまでもなく、名雪のお気に入りだった。
 商店街による度に、食べていこうと言われる気がする。
「……あ」
「どうした?」
 名雪がふと、足を止める。
「雪……」
 そう言って、空を見上げる。
「……雪?」
 つられて、俺も見上げる。
 分厚い雲に覆われた空から、パラパラと降ってくる白い破片。
 手のひらを伸ばしてそれに触れると、何もなかったかのように手の上で溶けていく。
「初雪、だね」
「やっぱり、早いな」
「前に住んでいたところだと、いつぐらいから降ったの?」
「まず、降る事自体が珍しかったけど……降ったとしても2ヶ月は先だな」
 まだ、暦の上では秋。
 他の地方より一足早い初雪。
「雪が降ると真冬って気がするんだけどな……」
「まだまだ、もっと寒くなるよ」
 そう、冬はまだ遠いけど、それでも、確実に季節は流れていた。
 ゆっくりと……ゆっくりと……。
「まぁいい。さっさと店に入ろうぜ。外だと寒いしな」
「そうだね。祐一のおごりでね」
「はいはい」
 俺は苦笑を浮かべて、歩き出す。
 目的の店はもう、すぐそこだった。


「ずっとこのままだったらいいのに」
 大きな木の下で呟いた言葉。
「このままだよ。何年経っても、何十年経っても……」
 すぐ横から、大好きな男の子の声が返ってくる。
「でも、夏になったら雪は溶けちゃうよ?」
「それでも、また冬が来れば同じ景色が見られるんだ」
「そうだね」
 頷く。
 でも、それが違うことには気が付いていたはずだった。
 どんなにゆっくりでも、確実に時は流れ。
 同じように見える風景でも、いつも、どこか形を変えていた。
 そして……。
「当たり前のことが当たり前でなくなるからだよ」
 それも、自分で呟いた言葉。
 当たり前だった日常を失って。
 そしてまた、新しい日々の中で過ごしていた。
 そのきっかけは、突然で。
 何の前触れもなくて。
 ただ、悲しさだけが後に残って。
 だから……。
「えいえんはあるよ」
 ふと、別の思考が混ざる。
 誰の物か分からない声。
 永遠。
 そんな物は無いと分かっていて。
 それでも、その存在を信じたくて。
 もう泣きたくないから。
 もう、悲しみに包まれるのは嫌だから。

 ――だけど今は、その『えいえん』の中で、ずっと泣き続けている。


 そして、季節は巡る。
 もう一度、冬が来る。
 真っ白な雪の中で。
 俺が、この街で一番見てきた風景の中で。
 また、何かが起こるような気がしていた。

 1人で、商店街の中を彷徨っていた。
「どうしたもんかな……」
 もうとっくに慣れた商店街。
 どこにどういう店があるかは、大体分かっている。
 しかし、何を買うかが決まっていなければ店を、選びようもなかった。
 こんな事をしているのは、秋子さんに「名雪の誕生日会をやりませんか?」と言われたからだが。
 あまり気乗りはしなかったが、どうせやるならプレゼントの1つぐらい買ってやろうと思い、ここで探していた。
「何を買えば面白いか……だが」
 ……始めから、まともな物を買うつもりはなかった。
 適当なぬいぐるみでも買えば名雪は喜ぶだろうが、それでは意味がない。
 どうせ、他に呼んでいる北川や香里がそう言った物を送る気がしたからだ。
 だったら、他の誰も送らないような、変な物を送った方が面白いだろう。
 とは言っても、そう変な物が簡単に見つかるはずもなかった。
「はぁ……」
 軽くため息をついて、辺りを見回す。
 たい焼き屋の屋台が目に留まる。
「そう言えば、もうとっくにそんな季節なんだよな」
 たい焼き。
 この街に7年ぶりに帰って来た直後に、とある少女に巻き込まれたきっかけ。
 白い雪の中で、元気に駆け回っていた少女。
 結局、1ヶ月の間ぐらいしか会わなかったけど。
 それでもまだ、この白い雪の中に、思い出として刻まれていた。
 懐かしくなって、そのたい焼きを買う。
 それは、冷えた手に暖かくて、やっぱり、懐かしい味がした。
「……お。この道には何があったっけ」
 ふと、いつも通らなかった道を見つけて、入ってみる。
 そこには、新しい発見があって。
 また、新しい思い出を刻み込んでいった。


 夢。
 これは、夢だった。
 だけど、その夢はずっと覚めなくて。
 終わりが無くて。
 最後には、また同じ夢に戻ってくる。
 赤い夕焼け。
 赤い雪。
 そして、小さな子供が泣いている。
 その涙を拭ってあげたくて。
 でも、手は動かなくて。
「約束……」
 遠くで聞こえた声。
 それが誰の声なのかも分からなくて。
 でも、その意味だけは分かって。
「……約束、だよ」
 それが、ボクに出せた最後の声だった。

 それからは、また、別の夢。
 男の子と女の子が、笑顔で遊んでいる夢。
 だけど、それは悲しくて。
 そのことに気が付いたとき、また夢が始まって。
 ずっと終わらない、夢の続き。
 夢から覚めたくて。
 でも、このままでもいいような気もして。
 だって、笑っていられるから。
 悲しくても、笑えるから。

 ――そしてもう一度、同じ夢の中に戻ってくる。


 年が明けた。
 新しい年になっても、何も変わらない日常。
 ただ、確実に近づいている大学受験を前に、時が止まってくれればいいのになんて事を思っていた。

 1月6日。
 俺が、1年前にこの街に帰ってきた日。
 ふと思い出して、散歩に出てきた。
 あれから1年が経って、何が変わっただろう。
 もちろん、些細な変化はあった。
 だけど、それも時の流れの中に埋もれて。
 また、同じ日々の繰り返し。
 ……ずっと、そう思っていた。

『どいてっ。どいてっ』

 ふと、前から聞こえてくる声。
 聞き覚えのある、騒がしい声。
 声のした方を見てみると、茶色の紙袋を抱えた少女が、こっちに向かって走ってきていた。
「そこの人っ。どいてっ」
 どうやら、俺に向かって声を掛けているようだと、ぼんやりと思う。
 どこかで見た風景。
 いつかと同じような服装。
 黄色のダッフルコートに、茶色いミトンの手袋。
 そして、背中でぱたぱた揺れる羽……。
「うぐぅ……どいて〜」
 そして、その時も聞いたことのあるセリフと共に、俺にぶつかる。
「相変わらず何やってるんだ、あゆ……」
 俺は、あきれてそう呟くしかなかった。


 そしてまた、ゆっくりと時が流れる。
 まだ終わらない夢の中で。
 いつもと変わらない日常の中を。
 いつか、目覚める日を信じながら。

 ――最後には、幸せな記憶を。

inserted by FC2 system