流れる光、流れる願い


 光を見た気がした。
 いつもは、自分から遠ざけていたはずの光。
 それはただ、暖かくて。
 それはただ、優しくて。
 あたしには手が届かない物なんだと。
 いつからか、そう思うようになっていた。

 暖かい光を見たのは、いつが最後だっただろう?



「……ん……ぅ?」
 ふと、自分が目覚めていることを自覚する。
 実際にいつから起きていたのかはわからない。
 それ以前に、そもそもいつから寝ていたのかさえ覚えてはいない。
 どこかふわふわとした、そんな日常。
「……ぁれ?」
 一拍遅れて、辺りが暗い事にも気が付く。
 つまりは、大体それぐらいの時間、ということ。
 具体的な時間は――と、時計に手を伸ばしかけて、やめる。
 別に時間がわかったところで、特に意味はないし。
 どっちにしたって、また朝まで眠るだけの話。
 特に問題があるわけではない。
 ただ、少しだけ珍しい時間に目が覚めた……それだけ。
 わざわざ誰かに知らせるような事でもない。
(と言うか、みんな心配しすぎなのよ……まぁ、それがお仕事なんだろうけどさ)
 心の中でぼやきながら、思い浮かんだのは姉の姿。
 別に姉は、仕事として世話をしてくれているわけではないけど。
 ぼやけたその映像は、それでも困ったように笑っていて。
「ま、姉は好きでやってるんだろうけどね。こっちは恥ずかしいったら」
 敢えて声に出して、軽く毒づく。
 それだけで、頭の中の映像が更に歪んだ。
 それは少しだけ痛くて……だけど、まだ足りない気がする。
 あたしが此処にいて、足を引っ張っている以上は。
 だから、あたしも姉も、頑張っているはずなのに。
(……いつから、だっけ)
 いつから、すれ違うようになったのだろう。
 いつから、こんな風になったのだろう。
 今ではもう、それは思い出せないけれど。



 とても懐かしい夢を見ていたような気がする。
 それは、遠い昔に見ていた夢。
 今よりも元気なあたし。
 今よりも明るい姉。
 ただ、普通に仲の良い姉妹。
 今でも色褪せることのない、ほんの些細な夢。
 今ではもう、遠くに霞んでしまった夢。

 あの時夢みていた光が、今では私を傷付けるけど。



「こんばんは」
 唐突に、声がした。
 物思いに耽る私を、現実に呼び戻すように。
 それは、聞き覚えのない声。
 ひどく場違いな、明るい声の言葉は……不思議に自然と、私の意識の中に流れ込んでくる。
「……ぇ?」
 だから、少しだけ反応が遅れた。
「こんばんは。今日は、とても良い夜ですね」
「ぁ……」
 もう一度、同じ声。
 ゆっくりと顔を上げると、窓際に、1人の女の人が立っていた。
 いつからそこに居たのか。
 どこから入ってきたのか。
 そういった要素を全て無視して、ただ、自然に。
 その姿は、とても綺麗で……やけに鮮明に、あたしの中に映っていた。
「……だ、れ?」
 そして自然と、声が漏れる。
 言葉にしてから、自分が口にした意味を把握する。
 見覚えのない人。
 この場所のことを考えれば、この時間にそんな人は入ってこないはずなのに。
 それなのにその人は、此処にいるのが当たり前のようで。
「今日のところは、秘密です。だって……」
 そう言って、その人は笑っていた。
 少し大人びて見える長い黒髪に、逆に子供っぽく見える笑顔を浮かべて。
 不思議さと、自然さ。
 その2つが混ざり合って……改めて、綺麗だと思った。
「その方が、運命的でしょ?」
 その人が付け加えた言葉の意味は、今はわからなかったけれど。



 それは、とても眩しい光だった。
 それは、いつか夢みた光だった。
 誰かを傷付ける為じゃなくて。
 誰かを包み込む為じゃなくて。
 ただ、自然にそこにある光。
 だからこそ、誰かを癒すことの出来る光。

 それは、傷付いたあたしでさえも。



「今日は、お礼を言いに来たんです」
 その人は、そう言った。
「お礼……?」
 いきなりそう言われても、何も心当たりはない。
 そもそも、これが初対面のはずだった。
 ……それとも、あたしが寝ぼけているだけなのだろうか。
 なにか大事なことを忘れているような……もどかしい、意識がずれたような感覚。
 だけど、その感覚の理由まではわからなくて。
「ええと、直接なにかをしていただいたわけではないんですけど。結果として、貴方達のおかげで、私の願いも叶うみたいですから」
「願い……あなた、達?」
 相変わらず、回っていない思考。
 それでも、引っかかる言葉だけは無意識に繰り返す。
 あたし達。
 あたしじゃなくて、あたしに近い人。
 浮かぶ姿は、やっぱり1つだけ。
「だったら……」
「良いんですよ。全部、繋がっているんですから」
 言いかけた言葉を遮って、穏やかな声がする。
 少しだけ、姉の声に似ている気がした。
 声質とかじゃなくて、その声の纏う雰囲気が。
「とにかく、お礼です……どうぞ」
 その言葉と共に、部屋のカーテンが開かれる。
 その先にあったのは、雲1つない、澄んだ夜空。
 そして……その中を流れていく、幾筋もの光。
「ね、綺麗でしょ?」
「…………」
 問い掛けに答えることも出来ずにただ、魅入っていた。
 流れ星……流星群。
 そういえば、そんな話を誰かがしていただろうか。
 どちらにしても、あたしにはまだ関係のない話。
 そう、思っていたのに。



 思い浮かぶのは、小さな姿。
 空を流れるのは、小さな光。
 それらは、ほんの小さな輝きだけど。
 寄り集まって。
 重なり合って。
 そして1つの、大きな光になる。

 あたしには眩しいぐらいの、大きな光に。



 それから、どれだけの時間が流れただろうか。
 窓の外の光は、今もまだ流れ続けていた。
 実際には、あまり時間が経っていないのかも知れない。
 だんだんと、時間の感覚が無くなっていく。
 だんだんと、思考がその光に染まっていく。
 だけど、そんなことはどうでもよかった。
 それでも、今はただ、その鮮明な光をずっと見ていたかった。
「どう、ですか?」
 声がした。
 それは、誰の声だっただろう?
 聞き覚えがあるような気もしたけど……思い出せない。
 ただ、とても優しい声。
「世界って、こんなに綺麗で、不思議で……」
 その言葉は、まるで歌うように。
 1つの流れになって、心地よく耳に響く。
「そして、運命的な出会いで満ちあふれてるんです」
「……うん」
 ただ、頷く。
 本当に運命的な、この出会いに。
「でも、今日はここまで、みたいです」
 ふと、大きな光が生まれた。
 なんだろうと思う間もなく、全てを包み込むように膨らむ光。
 それはただ、暖かくて。
「また……今度は、大事な人達と一緒に見れるといいですね」
 その言葉を最後に、あたしの意識も光に呑まれた。



 ありがとうと、誰かが言った。
 それは、とても暖かい声。
 込められた想い。
 込められた願い。
 その全てを受け取って。
 どういたしましてと、あたしも答える。

 それは、とても小さな約束だった。



「ん……ぅ?」
 いつの間にか、眠っていたらしい。
 ぴりぴりとした痛みと共に、ぼんやりと思考が戻ってくる。
 なにか、とても懐かしい夢を見ていたような気がする。
 暖かくて、綺麗な光。
 今のあたしには、手の届かない物。
 それでも……そんな夢を見ていたからだろうか。
 いつもより、陽射しが眩しく感じられる。
 ……今はあたしを傷付ける、その光が。
「……っ」
 指先の痛みに、思考が中断される。
 同時に、思考そのものはだんだんと鮮明に。
 ちょっとした違和感。
 射し込む光の強さ。
 反射的に布団にくるまりながら、それでも窓の方に顔を向ける。
「……ぁれ?」
 何故か、カーテンが開いていた。
 この部屋のカーテンは、あたしが居る間はいつも閉めっぱなしのはず。
 あたしが光を見るのが嫌いなのは、みんなわかっているはずだから。
「……?」
 釈然としないまま、体を起こす。
 今はまだ、陽射しはそこまで強くない。
 その内に閉めておこうと、ベッドから降りる。
 窓に近づくと、痛みもひどくなるけど……我慢できないほどじゃない。
「まったく、誰が……ぁ?」
 窓に近寄り、カーテンに手を掛けたところで、脳裏を過ぎる光景。
 綺麗な夜空。
 空を流れる光。
 そして、綺麗な女の人。
 あの人もこんな風に、窓際に立って――
「夢……じゃない?」
 呟いてみても、その光景が戻ってくるわけではなく。
 今は明るい空が、ぼやけた視界の中にうっすらと映っている。
 ……そういえばあの光景は、やけにはっきりと見えていた気がする。
 視力の衰えている、今のあたしの目にも。
「…………」
 考えても答えは出ない。
 それを判断できるだけの情報は、今はない。
 ただ、あの人は「今度は」と言った。
 それまでには……手術さえすれば、視力は回復するはず。
 そうすればまた、あの光景を見ることが出来る。
 今度は、もっと沢山の人達と。
「……頑張れって事?」
 口に出した問い掛けに、返る答えはないけど。
 それは、小さな決意。
 あの光景を、また見ること。
 そして、あの人にもう一度出会うこと。
 そのために今出来ることは、限られているけど。
 それでも――あの出会いが、本当に運命的であるのなら。
 これから先も、それぐらいの運命を望むのは、許されそうな気がした。



 流れていた光。
 流れていた想い。
 全ては、誰かがそこに乗せた願い。
 だったら、あたしも1つ飛ばす。

 そうして、巡り巡って還ってくるものは――

inserted by FC2 system