夢影夜


 あの日から、外に出歩くことが多くなった。
 とても、自分の家にはいられなかった。
 だって、あの子と同じ家にいたら。
 あの子とずっと一緒にいたら。
 きっと、泣き出してしまうから。
 だから――


 その日は、学校にいた。
 特に目的があったわけではないけれど。
 歩いていたら、気が付くとそこにいた。
 だからどう、という事でもない。
 ただ、歩いていたら、学校の前を通りがかった。
 それだけ――の、はずだった。

 パリンッ

「……!」
 何かが割れたような高い音が、学校の方から響いてくる。

 パリンッ
 パリンッ

 それも、何度も。
 だけど、それ以外の音は聞こえない。
 それが逆に不気味だった。
 そして、しばらくするとまた、静寂が訪れる。
「……何だったの?」
 わけがわからない。
 ただ、おそらくは窓が割れた音。
 それは間違いないとして、何故?
「…………」
 確かめるべきだろうか?
 確かめたところで、私になにかが出来るわけでもないだろう。
 むしろ、危険である可能性も高い。
 だけど――
「……ああもう!」
 悩んだのも少しの間。
 気が付くと、学校の敷地内へと走り出していた。
 何故かは、私にもわからない。
 ……わかりたく、ない。


『奇跡でも起きれば、なんとかなりますよ』


 その場所は、意外とすぐに見つかった。
 門から近かったことと、1階だったからだろう。
 予測どおり、割れている窓ガラス。
 そして、その内側に佇む人影。
 まだ距離があり、暗いこともあって顔は見えない。
「あの人が?」
 他に人が見当たらないのなら、きっとそうなんだろう。
 でも、その人はそこから動く気配もない。
 窓ガラスが割れていることも、気にしている様子はなかった。
「一体何を……」
 少しずつ近づく。
 近づきすぎると気付かれるかも知れないけど、仕方がない。
 人影が辛うじて判別できる距離まで近づいて、息を呑む。
 後ろで縛ってある長い黒髪に、見慣れたこの学校の制服。
 それも、女子の。
「女の子……?」
 もう少しよく見てみようと、更に一歩を踏み出す。
 その瞬間。

 少女が、急に駆け出した。

「え?」
 その時に、一瞬見えた。
 少女が手に持っていた物。
 その姿には不似合いな、抜き身の剣。
「……剣?」
 もう、わけがわからない。
 夢の世界に入り込んだような、そんな感覚。
 だけど、これは紛れもない現実のはずで。
「……もうっ」
 このまま帰っても、後味が悪い。
 腹をくくって、校舎の中に入ることにした。


 さすがに割れた窓からの侵入は危険だと思い、入口を捜す。
 すると、さすがにいつもの昇降口は開いていないものの、職員用の昇降口が開いていた。
「不用心ね……」
 自分の通っている学校だけに、少し不安でもある。
 考えてみると、さっきの少女が開けたのかも知れないが。
 だとしても、彼女が鍵を持っている理由がわからなければ同じ事だった。
「さて、どうしようか……」
 窓が割れていた現場に行くか、少女を追いかけるか。
 とは言え、少女が駆け出してからそれなりには時間が経っている。
 駆け出した方向はわかっているものの、すでに追いかけれる場所にはいないだろう。
「まずはわかる方から、ね」
 とりあえず、と言った風に呟き、歩きだす。
 見慣れているはずの校舎も、夜の闇の中では違う様に見えていた。
 どこか、非日常的な世界。
 澄み渡った静寂の中、自分の足音だけが響く。
「…………」
 ふと、自分は何をしているのだろうと思いもする。
 少しだけ、気が狂っているのかも知れない。
 きっと、あの時から。
 あの話を聞いたときから、どこかで歯車がずれたんだと。
 そう思っても、止まることはない。
 今更、戻れないのだから。
「馬鹿ね……」
 自嘲気味に呟き、廊下を曲がる。
 目的の場所はもう、すぐそこ。

 そこに、それは居た。


 特に、変わったことがあるようには見えなかった。
 目を凝らしても、いつもの廊下が続いているだけ。
 向こうの方を見れば、窓ガラスが割れている場所も確認できる。
 そう、それだけ。
 それなのに、視覚以外の感覚は、目の前に何かが居ると訴えていた。
「……!」
 何も見えない。
 だけど、動けない。
 少しでも動くと、襲いかかってくるような。
 そんな、絶対的な存在感があった。
「…………」
 そのまま、どれぐらいの時間が経っただろう。
 おそらく、時間とすれば1分も経っていないはず。
 だけど、永遠とも思えるような、そんな静寂の時間を挟んで。

 それが、動いた。

 何の前触れもなく、強い衝撃を感じる。
「っ!」
 何も出来ずに弾き飛ばされ、廊下を転がった。
 痛い。
 痛い。
 痛い。
「痛……ぅ」
 起きあがろうと、必死に体を動かす。
 幸い、何処も痛めた様子はない。
 それでも痛みが邪魔をして、なかなか起きあがれない。
(痛い、痛い、痛い、痛い……)
 それだけに埋め尽くされた思考の中、顔を上げる。
 私の目に映ったのは、ちょうど剣を振り下ろしている、少女の姿。

 ガキィッ!

 嫌な音が響いて、剣が空中で止まった。
 そこに何かがいる。
 目には見えないけれど、確実に。
 少女は一度剣を引き、なおも追撃を加えている。
 見えないはずの敵が、見えているかのように。
 だけど、最初の一撃以外は当たっている感じはなかった。
 そして、少女の動きが止まる。
「……逃がした」
 つまりは、そういう事らしい。
 その言葉を聞いて、ゆっくりと立ち上がる。
 少女はこちらを気にした風もなく、そのまま。
 とりあえず、声を掛ける。
「ええと……ありがとう」
「…………」
 無言。
 なんとなく気まずい空気。
 気が付けば、それはこの場所に相応しくない、とても日常的な空気だった。
 それでも、気まずいことに変わりはないけど。
「……あの?」
 沈黙に耐えられなくて、口を開く。
「…………」
 それでも、やっぱり返ってくる言葉は無い。
 ただ、顔だけはこちらに向けてくれた。
 私がここに居ることを認識してはいるらしい。
「…………」
「…………」
 しばらく、沈黙が続く。
 この状況だから、聞きたい事はいくらでもあるけど。
 会話が成立しない事にはどうしようもない。
 だからと言って、このまま黙っているのも居心地が悪かった。
「……あの。さっきの、何?」
 とりあえず、一番気になっていた事を聞く。
「……魔物」
「魔物?」
 今度は返事があった。
 だけど、その答えの意味は、よくわからなくて。
「私は、魔物を討つ者だから」
 そう言って去っていく後ろ姿を、ただ見つめるしかなかった。



 その日はもう、少女には会えなかった。
 呆然としたまま、仕方なく家に帰る。
 すでにみんな寝ているはずの時間だから、問題ない――
(……結局、あの子のことを考えてる)
 そんなことを思った自分が苦しくて、逃げるように自分の部屋に戻る。
 部屋に戻っても、浮かぶのはあの子の事ばかりで。
 むりやりに他のことを考えて。
 例えば……そう、さっき学校で会った少女の事、とか。
『私は、魔物を討つ者だから』
 そう言って、剣を片手に戦っていた少女。
 魔物。
 私には見えなくても、確かにそこにはいて。
 だけど……。
(言葉どおり、だとしたら?)
 気になって、辞書で引いてみる。
『魔性のもの。妖怪。ばけもの』
『人を迷わせたり破滅に導いたりするもの』
 ……確かに、ばけものではあるだろう。
 ただ、あの少女に迷いはなかった。
 でも、だからこそ。
 魔物を討つという、あまりに明確な目的を持っているからこそ。
 それ自体が、迷いのような気がした。
(そして、私も……)
 気が付くと結局、同じ所に思考が戻ってくる。
 苦笑すら、浮かべる気にはならなかった。

 あの少女は、戦っている。
 私はまだ、進めずにいる。
 どちらが正しいかじゃない。
 それぞれに、目的を持って。
 だけど――どちらにしても、行く先は破滅でしかないのだろうか。
 そんな、言いようのない不安に包まれながら、目を閉じた。



 次の日、夜。
 私はまた、学校に来ていた。
 あの少女と、話がしたくて。
 少しだけ、聞きたいことがあって。

 何の迷いもなく、昨日と同じ昇降口から入り込む。
 今日は、色々と準備をしてきていた。
 と言っても、差し入れのジュースとパンぐらいだけど。
 護身用具は悩んだ末に、持ってきていない。
(どうせ、相手は見えないんだしね)
 防御に使えないことがわかってるから、気休めにもならない。
 だったら、むやみに刺激する物を持ち込む必要もない。
(別に、魔物に会わなければ問題ないんだし)
 そう思い、すぐに無理だろうと首を振る。
 あの少女は、魔物と戦うために居るのだから。

「さて……どうしたものかしらね」
 入り込んだのはいいが、いきなり困った。
 今日は、窓が割れる音はしていない。
 居場所の見当が付かないわけだけど……。
「……まぁ、いいか」
 どうせ、学校はそう広くない。
 彼女も常に移動しているわけではないから、探していれば見つかるだろう。
(魔物に出会ったとしても、そこに来てくれるはずだしね)
 敢えて気楽に考えながら、歩きだした。
 相変わらずの暗闇。
 相変わらずの静寂。
 日常の先の非日常。
 やけに響く足音だけが、自分の存在を示してくれる。
 そんな錯覚を起こす、孤独な世界。
 その先に、彼女はいる。

 少女を見つけるのは、意外と早かった。
 大体昨日と同じ場所で、同じように剣を構えて。
 何一つ、昨日と変わること無い佇まいで、そこにいた。
「ふぅ……」
 軽く、安堵の息を吐く。
 魔物に会わなかった事に。
 1つの日常に戻って来れた事に。
 もっとも、非日常の中の日常でしかないのだけど。
「こんばんは」
「…………」
 とりあえず挨拶をしてみるも、思っていたとおりに無言。
 ただ、顔だけはこちらに向けてくれた。
 だから、気にせずに話しかける。
「これ、差し入れ。ジュースとパンぐらいだけど」
 そう言って、手に持ったビニール袋を掲げる。
「…………」
 少女は、軽く首を傾げただけ。
「はい、どうぞ」
 今度は、少女の目の前でビニール袋を広げる。
 少女は、私の顔とビニール袋を交互に見つめてから、片手だけで器用にパンとジュースを1つずつ取り出した。
 もう片方の手には、昨日と同じ剣が握られている。
 片手しか使っていないのは、すぐに臨戦態勢に入る為なのだろう。
 あくまで、魔物と戦う事が最優先のようだ。
「それだけでいい?」
 聞くと、無言で頷く。
 なので、私も少女の横に立って、一緒にパンを食べる事にした。
「…………」
「…………」
 しばらくの無言。
 少女は気にした様子もなく、黙々とパンをジュースで流し込んでいた。
 私もそんな様子を見ながらパンを食べる
 少女は昨日と同じく制服姿で、よく見るとリボンの色が青い。
 と言うことは、先輩になるらしい。
 急にさっきまでの言葉遣いが心配になったけど、本人が気にしている様子はないので、私も気にしないことにする。
 そもそも私は私服だから、後輩だと思われてもないんだろうけど。
 そうこうしているうちに、双方ともパンを食べ終わる。
 そして、再び訪れる静寂。
(……と、ゆっくりしている場合じゃなくて)
 その静寂を破って、また、私から話しかける。
「えっと……少し、聞きたい事があるんだけど。いい?」
「……?」
 問いかけに、少女は軽く首を傾げるだけ。
 先を促しているんだと判断して、続ける。
「まず……魔物って、なに?」
「……魔物は、魔物」
 答えになっていない答え。
 詳しくは答えられないのか、そもそもそれ以上の答えがないのか。
 本命の質問ではないので、深く追求する気もないけど。
 それより、ちゃんと言葉にして答えてくれた事が重要だった。
 続けて、別の質問をする。
「それじゃあ、どうしてあなたが魔物と戦っているの?」
 これが、本命。
 少女はまたゆっくりと口を開く。
「私は、魔物を討つ者だから」
「それは昨日も聞いたわ。でも、どうして?」
 納得する答えが聞けずに、重ねて問いかける。
「……私が、戦うって決めたから」
 少女はこちらを見据えたまま、小さく付けたす。
 真っ直ぐに見返しても、それ以上言葉が紡がれることはなくて。
「わかったわ……」
 結局、私の方が折れた。
 と言うより、答えとしてはこれで満足だったのかも知れない。
 少なくとも少女は、自分の意志で戦っている。
 それだけは確かなのだから。
 だから、質問はこれで終わり。
 そのつもりだったのだけど。
「それじゃあ、最後にもう1つだけ……」
 つい、口をついて出た言葉。
 この場所だから。
 非日常の世界の側だから、聞いてみたかった事。
「……奇跡って、信じる?」
 少女は、戸惑ったように目を瞬かせる。
 そして、すぐにいらついたような表情になって、口を開いて。
「奇跡は、ある。でも、それはいいことだけじゃ無い」
 そう、呟いた。
 その表情は、なぜだかとても辛そうで。
 悲しそうで。
「……ごめん」
 思わず、そう呟いていた。
「……別に、いい」
 少女の方も落ち着いたようで、すでに顔から表情は消えている。
 だけど、とてもこのまま一緒にいる気にはなれなくて。
「私、帰るわね」
 そう言うなり、返事も聞かずに歩きだす。
 途中で言い忘れたことに気が付き、立ち止まって。
「それから……もう、来ないから」
 それだけ、伝えて。
「……そう」
 返事を聞いたら、駆け出していた。


 校舎の外まで一気に駆け抜けて、息を付く。
 これで、この非日常的な世界ともお別れ。
 ここは、あの少女の戦場だから。
 私の居場所は、ここではない。
「そう言えば、名前も聞かなかったわね」
 ふと、そんなことを思う。
 考えてみれば、学校で会う可能性だって残っているのだけど。
「まぁ、いいか……」
 その時はその時。
 それに、普段の学校での少女と、この世界での少女もまた、違うのだろうから。
 とにかく、今は家に帰ろう。
 そしてまた、落ち着いて考えればいい。



 自分の部屋のベッドに転がり、ボーっと天井を見上げる。
 浮かぶのは、戦う少女の姿。
 その姿は悲しくて。
 儚くて。
 それでも、強くて。
「私は――」
 意味のない呟きが漏れる。
 目を閉じれば次に浮かぶのは、あの子の姿。
 辛いはずなのに。
 苦しいはずなのに。
 その表情は、いつも笑顔で。
「私は――」
 それは、戦いなんかじゃないのかも知れない。
 ただ、逃げているだけなのかも知れない。
 それでも、私に向かい合う事は出来なくて。
「……ごめん」
 そう呟いて、それで、今日を終える。
 また新しい――別の日を迎えるために。

「私には、妹なんていないから」

 最後にそう、自分に言い聞かせるように呟きながら。

inserted by FC2 system