Eternal Piece Another


 雪が降っていた。
 真っ白な風景を、更に白い色で埋め尽くすように。
 全てはただ、白く。
 その下に埋まった風景を、塗りつぶすように。
 それでも、その風景は消えない。
 悲しかった日。
 嬉しかった日。
 寂しかった日。
 楽しかった日。
 そして、全てが終わった日。
 忘れたくても忘れられないその風景は、時折白い風景の中に浮かび上がって。
 ボクはただ、泣いていた。
 ずっと。
 ずっと。
 ――その風景が、完全な白に染まる日まで。



 それは、春の影。
 私がこの学校を卒業してから、約1ヶ月が過ぎた頃。
 私は何故か、まだその学校の門をくぐっていた。
 私だけの、理由で。
「…………」
 闇に紛れるように、ひっそりと廊下に佇む。
 誰にも気が付かれないように。
 何者かの気配を探るように。
 この学校で過ごした3年間……いや、そのずっと前から繰り返してきた日々。
「…………」
 相変わらずの静寂。
 誰も居ないはずの校舎。
 だけど、私は知っている。
 この場所には、魔物が潜んでいる事を。
 それを知っているのは、私だけ。
 だから、私が討つ。
 それだけが、私の役目だから。
「…………」
 静寂。
 最近は、以前と比べて魔物が暴れることが減っている。
 数が減っているわけではない。
 私には、それがわかるから。
 ただ……3ヶ月前ぐらいから、魔物がやたらとざわついていた。
 その感情が何だったのかは、今でもわからない。
 不安か。
 恐れか。
 焦りか。
 感情の質はわからなくても、それが破壊に繋がることだけは確実で。
「……!」
 闇が動いた。
 気配が近づいてくる。
 私は考えるのを中断して、片手に握った剣を構え直した。
 今はもう、考えていても仕方がない。
 私は戦う。
 この場所を――私達のこの場所を、守るために。



 今までどおりの時間が流れていた。
 些細な変化も、ゆっくりと呑み込まれていく日々。
 当たり前のこと。
 当たり前じゃないこと。
 何も変わらない日常。
 小さな変化を望んで。
 小さな変化を拒んで。
 そうして、気が付けばもう、変化する事はなく。
 いつか手を伸ばした世界には、永遠に届くことはない。
 過去の言葉。
 過去の願い。
 それらが今もまだ、ボクを縛る。

「お母さんが、いなくなっちゃったんだ」

 泣き続けるボクに、差し出された手。
 小さな温もり。
 もう差し出されるはずのないそれを、今でも待ち続けていた。



 それは、夏の光。
 この街で一番短い季節の輝き。
 白い風景は遙かに消え、包み込むのは緑色の風景。
「……ふぅ」
 ふと、ため息をひとつ。
 思わず続けそうになった言葉は、何とか飲み込んだ。
 ――暑いのは、愚痴っても何も変わらない。
 それよりも、早く家に帰ろう。
 そう思い、心持ち足を速める。
 隣に並ぶ人は居ない。
 私は1人きりだから。
 あの時から私は、そう決めたのだから。
 と、
「……?」
 視界の端に何かが引っかかって、立ち止まる。
 見ると、そこに居たのは1匹の仔猫。
 前にも、何処かで見かけた事があるような……。
「…………」
 何となく気になって、そのまま猫を見ている。
 猫の方も立ち止まったまま、ずっと私を見ていた。
 私の後ろでは、そんな私達を気にせずに流れていく人達。
 2人きり、時間が止まったような錯覚。
 吸い込まれるように、猫の方に1歩を踏み出しかけ――思いとどまる。
 あの時と、同じ様な気がした。
「……ごめんなさい」
 呟いて、目を逸らす。
 そうしてしまえば、後は自然に足が進む。
 出会ってしまえば、いつかは別れなければいけない。
 それは、とても悲しいこと。
 もう、同じ悲しみは嫌だから。
 私は1人きりだって、自分で決めたのだから。
「ごめんなさい」
 猫の視線を背中に感じて、もう一度呟く。
 謝ったのは、誰に対してなのか。
 その言葉は誰にも届くことなく。
 ただ、貼り付いたような無表情が、全てを覆い隠していた。



 懐かしい風景。
 遠い世界。
 見下ろした遙かは、赤色に染まった街。
 沈みかけた光は色を変えて、この世界を包み込む。
 ボク達がまた、ここから還っていく世界を。
「今日だけ、一緒の――」
 小さな言葉。
 届ける先は上下の距離を隔て、すぐ近くに。
「――ダメ……かな?」
 小さな願い事。
 叶えるのもまた、小さな力。
「――何でも叶えてやるって」
 小さな2人の。
 小さな2人だけの。
 小さな2人のための。
 本当に小さな、想い出の形。
「また、この――で会おうな」
 小さな約束。
 だけど、だからこそ重い約束。
 最後まで、叶うはずだった願い。
「――約束、だよ」
 その小さな言葉は、風に吹かれて消えていった。



 それは、秋の色。
 窓に映る景色は、悲しい色。
 少し前まで華やかに色づいていた木々は、すでにその葉の大半を失っていた。
「あの葉っぱが、全部落ちる頃には……私も」
 小さく呟いて、苦笑する。
 そんな言葉が書いてあったのは、どの本だっただろう?
 そうじゃなくても、すでにお約束とも言えるようなセリフ。
 だけど、その続きは無い。
 励ましてくれる人は……励まして欲しい人は今、ここには居ないのだから。
「ドラマみたいには、いきませんでしたね」
 思いだすのは、冬の日。
 姉に全てを告げられた日。
 そして……小さな傷痕を作った日。
 あの日の出会いは、そこから先には進めなかったけれど。
 私は今、ここでこうして、来るはずの無かった時間を過ごしている。
 あの時までは、来ると思えなかった時間を。
「……奇跡、なのかな」
 それは、奇跡と呼ぶにはあまりにも小さな事。
 ただ、私の時間がほんの少し伸びただけ。
 それ以外は何も変わらずに流れている時間。
 それでも……だからこそ、奇跡。
 少なくとも、私にはそれで十分だった。
 それだけの時間しか、私には残されていないのだから。
「…………」
 もう一度、窓を見つめる。
 映り込む私の表情は、笑顔。
 あの時、あの人達が思い出させてくれた顔。
 もう少しだけ、頑張ってみようと思えた日。
 その日の事は、今でも全て覚えている。
 そして、これからも絶対に忘れない。
 これからの、短い時間の中でも。
(私は――ずっと、笑っていられますか?)
 無言の問いかけ。
 窓の中の私は、小さな頬笑みを返してくれていた。



「――どうしてお別れって、こんなに悲しいんだろうね」
 ゆっくりと流れる時間。
 それは、いつか終わるはずの時間。
 1つの終焉へと続く道。
 それはどんなにゆっくりでも、けして後戻りは出来ず。
 確実に、違う風景を紡ぎだしていく。
「当たり前のことが、当たり前ではなくなるからだよ」
 そこに、同じ風景は何一つとして無くて。
 それまで当たり前だった日常も、やがては新しい日常へと書き換えられていく。
 時にはゆっくりと。
 時には突然に。
 ただ、消えゆく風景への悲しさだけが残って。
「何も特別ではなかったことが、特別なことになってしまうから」
「他愛ない幸せがすぐ目の前にあった時のことを、ふと思い出してしまうから」
 だから、ボクは此処にいる。
 あるはずのない永遠を望んで。
 もう、泣きたくないから。
 もう、悲しみに包まれるのは嫌だから。
 だけど――今はその永遠の中で、ずっと泣き続けていた。



 それは、冬の欠片。
 真っ白な雪が、視界のほとんどを埋め尽くしていく。
 白一色に染まる、この街では当たり前の風景。
 もっとも、今の時間には、その色は更に黒で塗りつぶされるのだけど。
「……はぁ」
 部屋の中から、今も降り続ける雪を眺めていたのは、ついさっき。
 今はつい、ベランダに出て同じ風景を眺めていた。
「やっぱり、寒いね」
 当たり前のことを、当たり前のように呟く。
 雪が降っているのだから、寒くないと困る。
 それに、その寒さも含めて、私は雪が好きだった。
 それは私の名前のせいなのかも知れないし、この街で過ごしてきた時間のせいなのかも知れない。
 でも、どんな理由であっても、私が雪が好きなことに変わりはなくて。
 それはそれで良いのだと思う。
 だけど。
「祐一は、どうなのかな?」
 ふと、闇の中を振り返る。
 自分の部屋の、隣の部屋。
 今も明かりが洩れているその部屋は、いとこの男の子の部屋になっている。
 7年ぶりの再会から、そろそろ1年。
 今ではもう、この街にも慣れたはずの男の子。
 1年前はずっと、寒いのは嫌だと言っていたけれど。
「もう慣れたよね……多分」
 慣れたからといって、好きになってくれるわけではないのだけれど。
 それでも私は、あの人にも雪を好きになって欲しかった。
 私が好きな物を、一緒に好きになって欲しかった。
 1年前――いや、8年前よりも、もっとずっと前から。
 あの人が覚えていない昔から、私はずっと――
「待ってるよ、ずっと……今でも」
 誰にも聞こえないように、小さく呟く。
 果たされなかった、8年前の約束。
 もう、果たされることはないのかも知れない。
 もう、私も忘れてもいいのかも知れない。
 それでも……それは、私の大好きなものがいっぱい詰まった約束だから。
「待ってるよ」
 たとえ、待ち人は来なくても。
 私が、自分で決めたことだから。
「……うん、ふぁいとっ、だよ」
 小さくガッツポーズを作って、また、自分の部屋へと戻っていった。



 夢。
 それは夢だった。
 永遠に終わらない夢。
 何度も何度も、同じ風景だけが流れている。
 赤い夕焼け。
 赤い雪。
 赤色に包まれて泣いている、小さな子供。
 届かない言葉だけが、ぐるぐると廻り続ける。
 それだけの風景が、やがて、白に染まっていく。
 白色の街。
 白色の雪。
 その中で笑っている、男の子と女の子。
 それは、既に過ぎたはずの時間。
 もう戻らないはずの時間。
 だけど、これは夢だから。
 終わることのない夢だから。
 それだけの同じ風景を繰り返して――また、赤色の夢を見る。
 いつまでも。
 いつまでも。
 いつか、目覚めることが出来るまで。
「約束だから……」
 遠い日の約束。
 果たされなかった願い。
 今からでも、守ることが出来るのなら。
「うん……約束、だよ」



 そして、年が明けた。
 この街で過ごした、8年ぶりの年越し。
 だけど、それは特別なことではなくて。
 いつもと同じ毎日が、ゆっくりと流れていく。
 戻ってきたこの街で過ごした1年。
 その前に住んでいた街で過ごした1年。
 そして、これからこの街で過ごす1年。
 些細な変化は、大きな時の流れの中に埋もれて。
 また、似たような日々が流れていく。
 ――ずっと、そう思っていた。

『どいてっ。どいてっ』

 ふと聞こえてきた声に、顔を上げる。
 聞き覚えのある、無駄に元気な声。
 前を見ると、茶色の紙袋を抱えた少女が、こっちに向かって走ってきていた。
「そこの人っ。どいてっ」
 どうやら俺に向かって声を掛けているようだと、ぼんやりと思う。
 なんだか、思考が上手く纏まらない。
 夢の中のような、曖昧な感じ。
 いつか、どこかで見たような風景。
 紙袋を抱えた少女。
 黄色のダッフルコート。
 茶色いミトンの手袋。
 そして、背中でぱたぱた揺れる羽。
(……羽?)
 と、そこまで思った時には、少女はすでに回避出来ない位置にまで近づいていた。
「うぐぅ……どいて〜」
 そんな声を挙げながら、そのままぶつかる。
 その小さな体を受け止めきれずに、俺も一緒に倒れこんだ。
 腕の中には、懐かしい感触。
 そういえば、さっきのセリフまで、あの時と同じ様な気がする。
「相変わらず何やってるんだ、あゆ……」
 俺は、あきれてそう呟くしかなかった。



 そしてまた、ゆっくりと時が流れる。
 まだ終わらない夢の中で。
 いつもと変わらない日常の中を。
 いつか、目覚める日を信じながら。

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