繋がる欠片


 どこをどう歩いていたのか、あんまり覚えていなかった。
 ただ、あれからまた、少しずつ笑えるようになって。
 それでもまだ、あの場所に足を踏み入れる事は出来ずにいて。
 迷いながらも、近づこうとして。
 そうして気が付けば、その公園に立っていた。
 最初に目に付いたのは、中央の大きな噴水。
 後は時間帯のせいか、他の人もほとんど見えずに。
 その噴水が立てる音だけが、全ての世界になっていた。
「……綺麗、ですね」
 無意識に、呟く。
 それはどこか、寂しさを覚える風景ではあったけれど。
 だからこそ綺麗な……不思議な感覚。
「……?」
 ふと、視線を感じた。
 見ると、私と同じ制服を着た少女がこちらを見ていた。
 リボンの色は緑なので、同級生だろうか。
 でも、その顔に見覚えはない。
 元々私は人付き合いが悪かったので、そのせいだろうか?
 それをなんとなく申し訳なく思いながら、そのまま見つめあう。
 背は私と同じくらい。
 全体的に線の細い……それでも、意外としっかりとした印象。
 私と同じぐらいの長さの髪が、私とは違ってサラサラと流れている。
 しばらくの間、そのまま動けずに……なんだか急に、おかしく感じた。
 ――私達は、何をしてるんだろう?
「……くすっ」
「……あはっ」
 そして、同時に吹き出す私達。
 それだけで、なんとなく、良い友達になれそうな気がした。

 それは、とても懐かしい感覚だった。
 もう、ずっと昔に置き忘れてきたと思っていた感覚。
 今でもどこか、痛みと共に思い出す感覚。
 それでもそれは、とても素晴らしい感覚だった。

 2人して、ひとしきり笑った後。
 少女は笑顔のまま、私にゆっくりと近づいてきた。
 私が笑顔で迎えられたかは、少し自信が無いけれど。
「えーと、初めまして、ですよね? 少なくとも、お話をするのは」
「はい。同級生のはずですけど……すみません、名前を覚えていなくて」
 なんだか、変な内容の会話な気がする。
 本人達は、至って真面目なんだけど。
「仕方ないですよ。私、昔から体が丈夫な方ではなくて。ずっと学校をお休みしていましたから」
「そうなんですか」
 言われて、記憶を辿る。
 そういえば、そういう人がいる、という話は聞いた事があるような気がする。
 入学式の日に倒れて……それ以来、休んでいた人。
 最近になってまた登校してきていて、ちょっとした噂になっていたような。
 思い出せたのはそこまでで、名前まで出てこないけれど。
「なので、初めまして、です。私は、美坂栞です。栞で良いですよ」
「天野美汐といいます。よろしくお願いします」
 そして、今更のように自己紹介。
 初対面なのだから、当たり前なのだけれど。
 どこか、会話の順番がおかしいような気もする。
 だけど……おかしな事が当たり前で、当たり前の事がおかしくて。
 だったらきっと、私達にはそれが当たり前になるんだろう。
 私はもう、少しぐらいおかしな事では驚かないくらいに、不思議な夢を経験しているのだから。
 もし、同じであるならば……きっと。
「でも、珍しいですね。この公園、いつもあんまり人が居ないんですけど」
 続く声で、現実に戻ってくる。
 今の感覚は気になったけれど……それは多分、その内にわかることだから。
「そうみたいですね」
 それは、私がここに踏み入れたときにも思った事。
 時が変わればまた、違うのかもしれないけど。
「私はお気に入りの場所なので、よく来てるんですけど。美汐ちゃんは初めてですか?」
「はい……散歩していたら、偶然」
 そう、これはただの散歩。
 それは間違いの無い事。
 それでも、こっちの方へ来たのは、あの場所があったからで。
 少しだけ、答えに困った。
「そうですか。私も、最初はそうだったんですよ」
 けれど栞さんの方は、言葉に詰まった事には気が付かなかったらしい。
 内心で、少しだけホッとした。
 同時に少し、痛みもあるけれど。
「私、絵を描く事が好きだったので。風景画なんかも描いていて、その風景を探している時に」
「綺麗ですからね、ここは」
 私が頷くと、栞さんも嬉しそうに頷いてくれた。
 それだけ大切な場所、なのだろう。
「それから、それ以外でもよく足を運ぶようになって……デートもしましたね、ここで」
「デート、ですか?」
 それは意外な単語だった。
 私には、そんな経験は無かったし。
 栞さんの方も少なくとも、最近はずっと学校にも来れなかったはずで。
「はい。実は、割と最近だったりするんですけど。病院を抜け出して、何度も学校まで会いにいって」
「学校? 同じ学校の人なんですか?」
「そうですよ。先輩ですけど。いつも昼休みになると、中庭まで出てきてくれました」
 笑顔のまま、さらりと凄い事を言われている気がする。
 と言うか、それだけの元気があるのなら、学校にも普通に出てこれそうな気がするのだけれど。
 けれど多分、これはそういう話ではない。
「結局、その人には振られてしまったみたいですけど。それでも、楽しかった思い出ですから」
「そう、ですか」
 そう言って笑う栞さん。
 その話が本当なら……ここは、大切なものを貰った場所。
 そして、大切なものを失った今も、そのままで残っている場所。
 それでもなお、笑い続けられる強さ。
 それは、あのときの私には無かったもの。
「……後悔、していませんか?」
 だからつい、聞いていた。
 その答えを聞いてしまう事が怖くても。
「いいえ。してないです」
 それでも栞さんは、はっきりとそう言い切ってくれた。
 私が、聞かなければいけなかった答えを。
「確かに、辛い思い出でもありますけど……あの人はそれ以上に、大切なものをたくさんくれましたから」
「…………」
 私があの子に貰ったもの。
 今まで、そういう考え方はなかったような気がする。
 ただ、悲しくて、痛い……あれは、そういう出来事になってしまったから。
「笑顔を取り戻してくれました。友達が増えました。お姉ちゃんと仲直りできました。そして……命をくれました」
「……命?」
「あの人と出会った時には、余命1ヶ月って、お医者さんに言われていたんです。そんな私に、生きる希望をくれました」
 私は、そんなに大きなものを貰っただろうか?
 あの子と私は、ただ一緒に遊んでいただけ。
 ……それでも、根本的には変わらないのだろうと思う。
 笑顔でいられる事、それが始まりなのだから。
「そして今は、その病気も治りました。どうして治ったのかは、よくわからないんですけど。でも、そんな奇跡も、あの人がくれたんだと思っています」
 だから大丈夫ですと言って、また笑う。
 話を聞いていると、少しだけ泣きたくなってきた。
 未だに、あの場所に踏み入れられずにいる自分を。
 だけど。
「強い、ですね」
「大した事ではないです。ただ、あの人が支えてくれただけですから」
 それは多分、人に頼ることの出来る強さ。
 誰かを支えにしてでも、自分が生きる強さ。
 それはきっと……あの子達が持っていた強さ。
 だから、私が知らないといけなかった強さ。
「それでも、ですよ」
 だから、泣いていてもしょうがない。
 私も、知る事が出来たのだから。
「……そういえば、あの人にも同じような事を言われました。それは私の強さなんだって」
「はい。そう思います」
 消えるしかなかったあの子。
 消えるしかなかったはずの栞さん。
 同じようで、決定的に違う結果になってはいるけれど。
 それでも根本は……生きようとする理由は、同じ場所にあって。
「運命、かもしれませんね」
 無意識に、そう呟く。
 それが聞こえたらしい栞さんは、目を丸くしていた。
 だけど、それぐらいの事なんだと思う。
 私があの子と出会って。
 その繋がりで、相沢さんと真琴にも会って。
 そうやって前に進んできて、そして今、栞さんと出会った。
 その全てに意味があるのなら、それは確かに。
「それも言われました……別の人に、ですけど。凄いです。確かに運命っぽいです」
「そう……です、か?」
 その前にそもそも、栞さんが驚いたのは別の事だったみたいだけど。
 今度は私が一瞬、呆気に取られ――そしてまた、同時に笑い出した。

 こんなに大笑いしていられるのも、いつ以来だっただろう?

 笑い声が収まった頃。
「栞さん。これから、時間はありますか?」
 私は1つの決心の元に、そう話を切り出した。
「はい? 大丈夫ですけど……」
「でしたら少し、ついてきて貰えますか?」
 この公園は、栞さんの場所。
 それは、とても素敵な場所だったけど。
 だったら……きっと、あの場所が私の場所。
 あれ以来、未だに踏み入れる事が出来ていない場所だけど。
 私がここで栞さんと出会って、そして、前を向く事が出来るのなら。
 私も、誰かに頼ることで、強くなれるのなら。
「今度は、私のお気に入りの場所を、栞さんにも見てもらいたいのです」
 ――その運命を、信じるために。


 その場所は、その公園からはそう遠くはない場所だった。
 とは言え、山の中に入っていく以上、少しは歩かなければならない。
「大丈夫、ですか?」
「は、はい……」
 先を歩きながら、時々後ろを振り返る。
 栞さんは言っていたとおりに、あんまり体が強くないようだった。
「もう少しですから」
 それでも、それだけを告げて、前へ。
 やがて、急に視界が開ける場所に出た。
 久しぶりの……それでも、何も変わらないように見える風景。
「……着きました」
「うわ〜……すごいですね〜」
 栞さんの感嘆の声を聞きながら、私も前を向く。
 頭上に広がるのは、青い空。
 そして見下ろせば、私たちが暮らす街。
 足元に広がる草原を、小さな風が駆け抜けていく。
 そこに些細な差はあれど……本当に、あの時のまま。
 あの日……あの子と別れた時と。
 それは、今でも胸を締め付ける痛み。
 それでも、私は前を向くと決めたのだから。
「少し、昔話を聞いてもらえますか?」
「……いいですよ」
 その言葉に、栞さんが何を感じたのか。
 栞さんの方を見ていないので、その表情まではわからない。
 ただ、肯定の言葉を受けて、話し始める。
 私の、話を。

「まず……この場所の名前は、ご存知ですか?」
 最初に、確認のために問いかける。
 ここに来るのが初めてならば、わからないとは思うけれど
「えーと……ごめんなさい、わからないです」
 思ったとおり、少し困ったような声が返ってきた。
「いえ。この場所は、ものみの丘と呼ばれています」
 ものみの丘。
 そう呼ばれる場所。
 その名前は、地元の人にはそれなりに知られていた。
 その理由とは。
「そしてものみの丘には、1つの言い伝えがあるのです」
「言い伝え、ですか?」
「ものみの丘には、昔から、妖狐が棲むと言われてきました」
 妖怪の『妖』に『狐』と書いて、『妖狐』。
 その字のとおりに、不思議な力を持った狐。
「そして妖狐は、人に災いをもたらすもの、とされてきました。今日まで、です」
 それは、実際にどのような災いがあるのか、という話は全く無く。
 ただ、災いとだけ称される現象。
「それは、それだけの話です。ただ……」
「……ただ?」
 それだけならば、ただの言い伝えで済むはずのお話。
 だけど、それが伝えるものが、現実であるならば?
 その災いを、知ってしまったのならば?
「ただ……あの子達は、何も悪くは無いのです。ただ普通に、狐として過ごし……時々、人に憧れるものが出てくるのです」
 それは本来、災いと呼ぶべきではないもの。
 だからこそ、災いと称するより他にはないもの。
「そしてその子は、人になろうとします。けれど、いくら妖狐と呼ばれようとも、奇跡を起こすには、代償が必要なのです」
 そのために払う代償は、2つ。
 それまで妖狐として生きてきた、記憶。
 それから先を妖狐として生きるはずだった、命。
 そうしてやっと、一月にも満たない期間を、人として生きる事が出来る。
「そうして、僅かな時間を人として、誰かと一緒に過ごす。あの子達に出来るのは、たったそれだけです」
 本当に、たったそれだけ。
 だけど、あの子達はいい子だから。
 別れるのが辛いぐらいに、いい子達だから。
「……出逢ったんですか?」
「はい」
 聞かれた言葉は、1つだけ。
 返す言葉も、1つだけ。
 それでも多分、栞さんならわかってくれる。
 理由も無く、そう思った。
「それは……かっこいいですね」
「……はい?」
 けれど、返ってきたのはまた、予想外の言葉。
 思わず見た、栞さんの表情は……なんだか、目が輝いていた。
「消える事をわかっていても、人に憧れる狐。かっこよくないですか?」
「それは……」
 そんな事を、考えた事もなかった。
 それは私にとって遠いお話ではなく、自分の身の上に起きた事なのだから。
 だけど。
「……なんて、消えるはずだった私が言うのもおかしいですね」
 自分だけが不幸だったわけではない。
 自分だけに災いが降るわけではない。
 それを受け入れて、その上で前を向ける強さ。
 それを持っている人なのだから。
「なら、栞さんもかっこいいんですよ」
 そう言ってまた、笑いあう。
 多分、これでいい。
 あの子の事を、忘れる事は出来ないけれど。
 それを一緒に受け止めてくれる人が居て。
 楽しい思い出として、笑いあえるのならば。
「もしくは、栞さんも、本当は狐なのかも知れませんね」
「はい?」
 気が付くと、私はふと、そんな事を呟いていた。
「思っていたよりも、あの子達に出会う可能性は高いみたいですから」
 あんな不思議な事は、もう2度とおきないのだと思っていた。
 ずっと、1人きりで抱えていくしかないんだと思っていた。
 だけど。
「私は、2回出逢っているんです」
 1回目は、ずっと昔。
 2回目は、つい最近。
 まだそう長くない人生の中で、すでに2度。
 それなら……同じ経験をした人がもっと居ても、おかしくはない気がする。
「だったら、誰もそうとは気が付かないだけで……もしかしたら、本当に、この街の半分ぐらいがあの子達なのかも知れません」
「それも面白いですね」
 驚いていたのも、束の間。
 栞さんもすぐに、そんな話に乗ってきてくれた。
 それは、とりとめのない妄想話。
 だけど、そんな話が出来る相手は、そんなにいない。
「前にも、こんな話をした事があるんですよ」
 その時は、もっと驚いてくれたけれど。
 あの人の場合は、そんな余裕が無かった頃の私を見ているから、だと思う。
「半分は冗談にしても……それでも、この場所には、たくさんの狐達がいるはずで。その身1つで、あれだけの奇跡が起こせるのなら……」
「集まると、もっと凄い奇跡が起こせそうですね」
 それも、その時にした話。
 その時は、『空からお菓子を降らせてみるとか』と言ったら、笑われたけれど。
「もし、本当に奇跡が起こせるとしたら……栞さんなら、何をお願いしますか?」
「そうですね……お菓子なら、アイスクリームも良いですね」
「はい」
 そしてそれも、ただの冗談。
 本当に願いたい事は、そこにはない。
 私の願いは、叶うはずの無い事。
 栞さんの願いは……おそらく、すでに叶った事。
 これは、だからこその冗談。
 それに……私の願いは。
「後は……この場所にだけ、雪を降らせてみるとか」
「それも面白そうですね」
 あの子が帰ってくる事は無い。
 真琴もきっと、帰ってくる事は無い。
 だけどもう、大丈夫。
「雪だるまを作ってみたいんですよ。全長10メートルぐらいの」
「その時は、私もお手伝いして良いですか?」
「はいっ。みんなで頑張りましょうっ」
 こんな、どうでも良いような事でも笑いあえる。
 たったそれだけの事。
 それでもそれは、私の願いだったのだから。

 あの子みたいな、本当に素敵な友達と出会う事は。

 それからずっと、その場所で話し続けた。
 そのどれもが、他愛の無い世間話。
 だけどそれは、本当に楽しい時間だった。
 そして……だからこそ、その時間は早く終わりを告げる。
「さすがに、暗くなってきましたね」
 どれほどの時間、話し続けていたのだろうか。
 元々、あまり早い時間ではなかったけれど。
 気が付けば周りは、赤色を飛び越えて、深い青色に包まれていた。
「夕焼けを見逃したのは、少しだけ残念です」
 そう言って笑う栞さん。
 だけどそんなのは、些細な事。
「それはまた今度、ですね」
「はいっ」
 まだ、一緒に見る機会はいくらでも作れる。
 いつでも……何度でも。
「そろそろ、帰りましょうか」
「そうですね」
 並んで歩きだして……ふと、不安になる。
 この場所から離れる事が。
 そして……また、別れる事が。
「……美汐ちゃん?」
 立ち止まってしまった私に、掛けられる声。
 その声もどこか、遠くに感じて。
「大丈夫、ですよね」
 ふと、口から零れた言葉。
 消えてしまう不安。
 すがる場所から、離れる不安。
 この場所は、辛い思い出の場所だけど……辛い事があったのは、この場所ではない。
 この場所での思い出は、全てがとても素敵なもの。
 だから……今日の事も、その1つとして、思い出の中に消えてしまいそうで。
「……大丈夫、ですよ」
 呟くように答えて、握られた手。
 そこから伝わる温もりが、胸いっぱいに広がっていく。
「……はい」
 それで不安が消えるわけではない。
 だけど、それでも、前を向く。
 それが、いつかは消えてしまう温もりでも。
 その温もりを、ずっと覚えている事は出来るから。
 それは当たり前の事で……だからこそ、とても大切なことだから。
「……帰りましょう」
「はいっ」
 元気な返事を聞きながら、再び歩き出す。
 その手は、しっかりと握られたままで。

 その手が離れる時は、別れの時。
 だけどもう、大丈夫。
 ではまた、と手を振るだけ。
 それでまた、すぐに出会える。
 そういう運命なのだから。

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