透明な文章 | 2004/01/01 23:19 |
なにやら正月更新は自分を振り返ることに使うらしい まぁ、いつものペース的にクリスマスからの1週間じゃ小説を書くのが難しいので 特別編の更新……になると、そんな感じになるのかなと それが正月っぽいのかどうかはさておいて、ね さて、今回は自分の文章について書いてみようかなと 自分の文章の感想としてよく聞くのが、「綺麗」「透明」などといった言葉なんですね もちろん、ある程度は意図して書いている部分もあるのですが そうじゃなくて、自然に僕の文章の個性として出ている部分が大きいので どういった部分からそれが生まれるのか、自己分析をしてみようと ……要は、普段僕が何を考えて文章を書いてるかって話になるんだけどね とは言った物の、僕はそれほど色々考えて書くタイプでは無いような気がします いわゆるプロットという物も立てませんし 元々SSから入ったこともあって、最初に考えるのは場面、ですね SSと違って前提となるキャラ情報がない分、ここで詰まることも多いんですが 何が書きたいか、どんな話が書きたいか 場合によってそれが最後の場面だったり、漠然とした風景だったりですが 場面よりは風景の方が多い、かな? 後はその場面に繋がる風景なり、風景に繋がる場面なりを適当に頭の中で纏めて とりあえず1文を書き始める……と言った感じですか これは昔から――学校での読書感想文とかからだし、同じ人も多いと思うんだけど 最初の1文が一番悩むんですよね 逆に、最初の1文さえ書けてしまえば後は何とか繋げていけるんですが だから、とりあえず1文を書くようにしてます 出来るだけ考えないように、その話を始められそうな一言を それから先は、予め考えた話をある程度は頭に入れつつ、基本的にはその場の文章の勢いで書いていきます 場面を繋ぐことよりも、その場の文章を上手く繋ぐ事が基本、ですね まずは文章として読めることが大切だと思うからなんですが そういった意味でも、結局は1文目が大切なんですけどね 後はひたすらその場の空気で繋いでいく感じでしょうか そのため、元々考えていた話から変わることもあるけど、あんまり気にせずに 元々が簡単に頭の中で纏められるだけの漠然とした物だから、それに捕らわれててもしょうがないので それに、いつも割と細かく場面が別れて書いてたりするので、修正も意外と容易なんですよね 最後は続かなくなったら……じゃなくて、適当に区切りがついたら終わり 大抵の場合は最後の一歩手前ぐらいの場面がベースにあるので、そこから繋げばあんまり困らなかったり ……場合によっては、どれだけ続けるかと悩むこともありますが 僕の基本的な物書きの流れはこんな感じですかね ほぼ全てが勢いで、その場の流れで とにかく「それっぽく」なればいいかな、というのが正直なところだったりします 物書きなんて、基本的なセオリーはあっても明確な回答なんてありませんから ……しかし参考にならない話だ で、結局何処が綺麗で何処が透明なのか 要は綺麗好きなんでしょうかね? ……実際はさておいて、文章を書く場合に そもそも綺麗と言う表現も割と曖昧な気はしますが 自然と選んだ言葉、選んだ文章がそう見えるのならば、そうと言うしかないのかと それが何に影響を受けてなのか、と聞かれると去年も書いたとおりKanon、なんでしょうけどね 後、物書きの話をする度に思い出すセリフがあったりします 「お話の中でくらい、ハッピーエンドが見たいじゃないですか」 これもやっぱり、Kanon中で出てきたセリフなんですけど いろんな話に需要があって、全てがそうである必要は全然ないと思うんですが それでも、自分が書く話はそうありたいかなと ハッピーエンドとは言わないまでも、少なくとも嫌な後味で終わらせたくはない、と ……最近はむしろ、後に何も残らないぐらいの物を目指しているような気もしますが とにかく綺麗に、「立つ鳥跡を濁さず」ですかね ……これで終わるのはあまりに意味がない気がするので、もう少し考察っぽい事をしてみようとは思いますが 自分自身の印象としては、「空っぽ」な部分があったりするんですよね 1つ1つの言葉や文章には気を使うんですが、全体を通して見た時にどうか、と 前述のとおり勢いで繋いでいくので、その中で書きたい物が統一できているのかどうか その辺を文章の雰囲気で誤魔化して、結果として綺麗な外見だけが残る それが「透明」なんじゃないかなぁと言うのが自分の見解だったりします ある意味ではそれを目指しているわけだし、自分で気に入ってもいるんですが ただ、以前にちょっと話し合ったところによると、他の人が受ける印象はそうではないらしいんですよね だったら何が透明なのかと聞いても、答えは出ないんですが もしくは、その雰囲気だけが残るから、なんでしょうか 確かにそこにあるのに、実体が見えなくてすり抜ける どちらにしろ、確信を持てるほどの説ではないんですが しかし色々考えて書けば書くほど、個性としか表現のしようがないのかなという気になったり 元々の「綺麗」「透明」という言葉自体も、人によって受け取り方が違うでしょうし 掴みようがない、よくわからない文章 それでいて自分の中ではそれが普通で、当たり前の文章 ……「透明」な「空気」、そんなところなんでしょうか なにがなんだかよくわからなくなってきたところで 気が付いたら文章を書くときに具体的に考えてる事、気を付けてる事なんかの話が出てないので 最後にちょこちょこと書いてみようと思います 全体的な事としては「それっぽく」の一言で全て片付くんですが 何をどうするのが「それっぽい」のか、が重要なんでしょうから ただ、技術的な面でも気を付けてることは色々あるわけですが、今回は物書き講座をしたいわけではないので 「それっぽく」に関わってそうな、感覚的な部分だけ挙げていこうかと どうせ技術面は誰かの受け売りですし、ね そもそも「それっぽく」ってのは、基本的に自分がその文章を読んで違和感がない事、なんですが その時に文章を読む際のテンポであるとか、始めに目に入った時の印象なんかを重視するんですよね 基本的にはサクサクとテンポよく読めるように、1文を一息で読める程度の長さで切ってみたり 特に「綺麗」である事を意識する場合は、その部分の文の長さを揃えてみたり その辺の感覚は時と場合によって色々と変化してるので、一概には言えないんですが 後は自分が「綺麗」だと思える言葉を使うこと、だけですね これに関しては完全に感覚論なんですが 文章を書くにあたって、1つの事をいろんな表現で書けるわけであって その中で、自分に合う表現を探すこと、でしょうか ……僕は困ったらとりあえず難しげな表現を使うっぽいのですが 漢字とか好きだしね…… さしあたって、こんな感じでしょうか ……見直してみると、やっぱり何書いてるんだかよくわからないんだけども とにかく、ほぼ無意識にそんな事を考えながら文章を書いてるって事で ……無意識じゃやっぱり当てにならないよなぁ…… |